戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。太平洋戦争中に水没し、今も犠牲者が取り残されたままの山口県宇部市の長生炭鉱。犠牲者と遺族を思う市民が炭鉱内から遺骨を見つけ出し、遺族に返そうと歩みを続けています。

山口県宇部市。海底から石炭を掘り出す長生炭鉱がありました。

太平洋戦争の開戦まもない1942年2月。長生炭鉱は無理な採掘を続けて水没し、朝鮮半島出身者136人を含む183人が犠牲に。遺骨は海底に取り残されたままです。

この遺骨を遺族に返そうと活動している地元の市民団体、長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会。

長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会 井上洋子 代表
「戦争政策、特に石炭という国策によって死ななくてもよかった人たちが人災によって亡くなられた。ここにご遺骨があるよというのを見捨てるような国であってほしくない」

公的支援も求めてきましたが、日韓の遺族を招いた追悼式などを30年以上、国や自治体の協力なく行ってきました。

遺骨収容についても支援はなく、協力してくれるダイバーと炭鉱内に潜る調査を根気強く続けました。

そして8月。4つの人の骨を見つけ出しました。

長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会 井上洋子 代表
「戦後80年、この年にご遺骨が日本のこの地で見つけられた。本当に大きな意味があるだろう」

今も残された戦時中の悲劇の痕跡。この遺骨の問題を解決することが、過ちを繰り返さないことにつながると井上さんは考えています。

解決を急ぐ理由に遺族の高齢化もあります。

事故4日後に生まれた日本の遺族。

長生炭鉱の事故で父親を亡くす 常西勝彦さん(83)
「自分の親父がいつごろ見つかるかな。DNA検査で全員がわかれば一番いい」

刻む会は遺骨を警察に引き渡しましたが、鑑定は行われていません。

先日、国は「日本警察でのDNA型鑑定について、韓国側と意思疎通を図っている」と説明。しかし、具体的な期限は答えられないとしました。

韓国遺族会・最高齢の男性。認知症を患いながら、父親の帰りを待ち続けています。

長生炭鉱の事故で父親を亡くす チョン ソッコさん(92)
「遺骨、発見して、ありがとうございます」
井上さん
「遺骨持ってくるから、私が。約束」

調査では、下半身のような姿も確認されました。

戦時中に起きた悲劇により、今も残る遺骨。解決に向けて市民は進み続けています。

長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会 井上洋子 代表
「遺骨は、もの言わぬけど歴史的な生き証人。一人一人のご遺骨を大事にしながら収容に励みたい」