12月24日、極秘指定が解除された1994年の外交文書。その中には、当時の細川護熙総理の訪中をめぐる約500ページに及ぶ詳細な記録が含まれていた。台湾問題で神経を尖らせる中国と、対応に細心の注意を払っていた日本。資料を読み解くと、冷戦後の国際情勢を背景に、日中外交の舞台裏が浮かび上がった。

「日中関係は新たな段階に」中国が“異例の時期”に日本の総理を迎えた理由

1994年3月、北京に降り立った細川氏。
自民党が初めて野党に転落し、非自民連立政権として誕生した政権トップの訪中に、中国側の注目は高かった。

現在、都内のアトリエで創作活動を行う細川氏は、当時の訪中についてこう振り返る。

細川護熙元総理
「この時は中国の全人代(全国人民代表大会)の最中で、外国の首脳を招聘するというほとんど前例のない形で呼ばれたわけです。日本では38年ぶりに政権交代で、こちらとしてもこの時の訪中は大変意味があったし、中国側にとっても日本がどういうことを考えてるのか知りたかったんでしょうね」

全人代は日本の国会にあたる重要な政治日程だ。その最中に日本の総理を迎えたこと自体、異例のことだったという。

実際、訪中に際して当時の外務省中国課が用意した資料には「国交正常化20周年、日中平和友好条約締結15周年という節目を経て、日中関係は新たな段階に入った」と記されている。

しかし、日本側には楽観できない事情もあった。