「北新地のビルで25人心肺停止、現場向かって!」記者歴6か月、新入社員の私は大阪府警キャップの電話を受けてタクシーに飛び乗った。先輩記者らのただならぬ雰囲気に、大変なことが起きてしまったことを自覚した。

亡くなった西澤弘太郎院長

大阪の繁華街・北新地の現場に到着。すでに多くの報道陣がいて、放火されたクリニックの西澤弘太郎院長がどんな人物だったか、院内では何が行われていたのかなどの取材が始まっていた。

「西澤先生のおかげで仕事に復帰できた」「やっとの思いで見つけた先生なのにこれからどうすればいいのか」(患者や元患者)

悲痛な思いを訴える声に、私もこらえきれずに、泣きながらマイクを向け続けた。1週間経っても、献花に訪れる患者らが途絶えることはなかった。

それから2か月半。元患者が集うオンラインサロンで一人の女性と出会った。

「初めまして、わたし、西澤弘太郎『こころのクリニック』をしていた者の妹に当たる者なんです。」

画面の向こうで自己紹介した、伸子さん(45)。事件後の報道を見て、兄が多くの患者に慕われる存在だったことを知り、また兄の死亡によって行き場をなくした元患者が多くいることを知ったという。

すぐに伸子さんの連絡先を聞いた。

事件の「ご遺族」を取材するのは初めてだった私、何と声をかければいいのだろうか、どこまで聞いていいのだろうか、不安と緊張で手が震えていた。

しかし、伸子さんの反応は意外なものだった。

「私、いますごく悲しくて立ち直れない、とかではないんです。たぶん想像してはる遺族とは違う。こんな感じでテレビに出たら、たぶん皆さん『引かはる』と思うんですよね」

え・・?確かに想像していた「ご遺族」とは違う。明るく優しく、はつらつとした声が印象的だった。私はその理由を1か月後に知ることになる。