佐賀関火災で大きな被害を受けた地域の区長は、発生当初から住民に寄り添い、復興への希望を持ち続けています。
(田中3区・山田二三夫区長)「火の回り方は全然記憶にはないんですよね。みんなが助かればいいなって、もうそれだけ」
田中3区の山田二三夫区長(70)の自宅も1か月前の11月18日、風にあおられた炎によって全焼しました。
(山田二三夫区長)「あの人は、あの人は、あの人はって、話はしましたね。いるかな、いるかな、いるかなって、そういう話ばかりでした」

激しい炎が迫る中、山田さんは必死に避難を呼びかけました。翌日からは、着の身着のままの避難所での生活が始まりましたが、山田さんは被災者に寄り添い続けましたます。
(山田二三夫区長)「本当にがっくりされた方もいましたので、親身になって話を聞くことが大切だと思いました。ただ、話しかけない方がいいのか迷うこともありました。話しかけないわけにはいかないので、上手く話をして気持ちを和らげるよう努めましたが、そのあたりは難しかったです」

当初、佐賀関市民センターには約200人近くが避難していましたが、その後、親戚の家や市営住宅などの仮住まいへと移っていきました。しかし、山田さんは佐賀関の皆との繋がりが途切れることはないと断言します。

(山田二三夫区長)「自治会でもいろんな方法を検討し、簡単なことですが手紙を出したり電話をかけたりしようと考えています。佐賀関は周囲の家の声が聞こえるような場所でしたから、そうしたコミュニケーションが大切だと思います。たぶん、佐賀関田中が良い場所だと思うので、住み慣れた場所に戻ってくるのではないかと期待し、待っています」














