突然町を襲った災害 迫る津波

議会中だった佐藤さんが防災対策庁舎に駆け付けると、あと5分で津波が到達すると知らされました。

佐藤仁さん
「放送の施設がここしかなかった。ここで放送しないと全町民に放送がいきわたらない。もしあそこで避難誘導しないで避難したら1000人を超える町民が犠牲になるその時の責任は誰が負うんだと。かといって職員が死んでいいわけではない」

当時の放送
「海岸付近には絶対に近づかないでください」

職員は高さ12メートルほどの庁舎の屋上に避難。

佐藤さんや一部の職員はアンテナにつかまるなどして九死に一生を得ましたが、職員43人は帰らぬ人となりました。

佐藤仁さん
「昔の街のど真ん中で残っているのはここだけだから…」

行方不明や関連死を含め震災で831人が犠牲となった南三陸町。

防災対策庁舎は将来に教訓を残すべきという保存派と、悲劇の場所を見たくないという解体派に意見が分かれました。

県が一時的に所有する間にどうするか決めることになり、佐藤さんは去年、庁舎を町有化し、保存すると決断したのです。

佐藤仁さん
「この問題については自分の代で決着すべき問題だと思っていた。今回退任することは以前から思っていたので、町有化の道筋をつけようと」

また、復興に向け最優先で取り組んだのが住民の高台への集団移転でした。

佐藤仁さん
「この三陸地域には津波がまたやって来るのでその時に犠牲を出さない街を作ろうと。これが復興計画の一丁目一番地、なにかというと高台移転。震災から4か月目、高台移転の一点だけで住民説明会を1週間で23会場やった」

佐藤仁さん
「きょうが最後なので、しっかり頑張ります」

町の復興に向け、駆け抜けた日々。ゴールが見えないなか、毎日を過ごしました。

佐藤仁さん
「頂きの見えない山に登山するという思いだった。毎日毎日、ひとつひとつハードルを越す日々を過ごしましたけど、振り返ってみると登り始めた登山口はすぐそこだったという感じ」