訪れた転機 日中国交正常化

転機が訪れたのは、昭和47年の日中国交正常化。孤児たちの身元調査や帰国が進展します。

終戦から44年経った平成元年、中村さんは夫や子どもたちと帰国。両親の出身地や手がかりは見つかりませんでしたが、身元引受人がいる鹿児島市で暮らすことにしました。48歳の時でした。

(中村和子さん)「祖国を見てみたかった。だって、日本人だから。李桂和の“和”をとって、中村和子にした」