80年が経っても忘れない 久志の人々への感謝

終戦から2年近くもの間、米軍に島を占領された伊江島の人々がふるさとへ戻ることは許されませんでした。そんな時、手を差し伸べたのが久志の人々でした。
名城政英 伊江村長
「終戦直後で物資も乏しく衣食住に事欠く厳しい時代に、食料不足を補う開拓地の提供など、言葉では言い尽くせないほどのご厚情を賜ったことを伺っております」
この日、96歳になる宮城さんは娘の正美さんと参加していました。
娘・正美さん
「話はよく父から聞いていたんですけど、父が元気でいてくれたおかげで兄弟6人、元気でいます。有難いことです」

過酷な状況でも支え合って命をつないだ人々の記憶を、石碑は静かに伝えています。
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戦後80年が経過し、収容所での悲しみを歌った「大浦崎哀歌」を歌える方はほとんどいなくなってしまいましたが、映画「木の上の軍隊」でも記録されています。記録し、ウチナーンチュが歌うことによって、悲しみを乗り越えてきた歴史も伝えていきたいですね。














