2年もの間 島を追われた伊江島住民― 4200人の “戦後”
戦後80年の今年公開された映画、『木の上の軍隊』の舞台となった、沖縄戦の激戦地、伊江島。これまで戦火の記憶は語り継がれてきましたが、ふるさとを奪われた人々がいかに命をつないだかということには、あまり光が当てられてきませんでした。この記事では、伊江島の人々が歩んだ、収容所での “もうひとつの戦後” に迫ります。

映画「木の上の軍隊」。物語は、沖縄戦前夜の1944年、伊江島でいち早く旧日本軍の飛行場が建設されるところから始まります。
しかし、飛行場は完成直後、「10・10空襲」で爆撃され、住民には「疎開命令」が下ります。
こうしてふるさとを追われた伊江島の住民約4200人が、2年近くもの間、肩を寄せ合って暮らしたのが、現在の名護市久志にあった収容所でした。














