「この収容所がなければ…」
先月28日、この土地を提供してくれた久志の人々への感謝を伝える集いが開かれました。96歳になる宮城正仁さんは、感謝の言葉を繰り返し口にしました。

当時を知る宮城正仁さん(96)
「この収容所がなければ命をつなぐことができなかった。久志の住民には感謝しています」
人々が今なお感謝し続ける理由ーそれは、この地に辿り着くまでに強いられた苛烈な日々にありました。
米軍は、現在の名護市キャンプ・シュワブ内に設けた「大浦崎収容所」に、1945年6月、伊江島の住民を含む2万人を強制的に移動させました。ふるさとに帰ることが許されなかった伊江島の人々の戦後はここから始まります。















