日本酒の出来を競う「全国新酒鑑評会」で今年5月、福島県の17銘柄が金賞を受賞し、都道府県別の金賞受賞数が日本一となりました。
史上初となる、9回連続日本一の快挙です。

しかし、福島県の日本酒は2000年以前の評判は決して高くなく、日本一までの道のりには数多くの努力と苦悩がありました。
ベテラン杜氏との確執や東日本大震災。さらに、追い打ちをかけた福島第一原発事故による風評被害という大きな壁が立ちはだかりました。
■金賞受賞数‟ゼロ”の苦い過去
時を遡ること、昭和の時代。
日本酒業界を席巻していたのは、新潟県でした。
一方、福島の日本酒のイメージといえば「安い酒」。
1990年の全国新酒鑑評会では、金賞受賞数がゼロという苦い記録も残しています。

そこで、福島酒造組合と県が、新潟にあった「清酒学校」を参考に、1992年に開校させたのが「清酒アカデミー」です。

開校の翌年、この清酒アカデミーに技術指導者として現れたのが、福島の日本酒の命運を担い、のちに『日本酒の神様』と呼ばれる福島県日本酒アドバイザーの鈴木 賢二さんでした。

しかし、当時鈴木さんは技術指導者にも関わらず、酒造りは素人同然。県職員として入庁後に食品を担当したことはあるもののお酒はたしなむ程度で、日本酒づくりの専門的知識はまるでありませんでした。
--鈴木賢二さん
細かいところまでみなさん全部聞いてこられるので、これは大変だなとずいぶん思いました。