戦後80年プロジェクト、「つなぐ、つながる」です。終戦後、28年間も戦地のグアム島に潜伏し続けた日本兵、横井庄一さん。その潜伏し続けた理由を親族が改めて語りました。

記者
「グアム島の横井庄一さんが、実に31年ぶりにたった今、日航の特別機でこの羽田空港に帰ってきました」

その男性は戦争の匂いがすっかり消えていた1972年に突然、帰国。名古屋の実家は、テレビ中継を見守る親戚や近所の人たちでいっぱいに。

記者
「今、横井さんが見えました」

残留日本兵・横井庄一さん(当時56歳)。激戦の地・グアム島のジャングルに終戦後も28年身を隠していましたが、島民に見つかりとらえられ、やっと戦争が終わったのです。

横井庄一さん
「恥ずかしながら、生きながらえておりました」

玉砕の島・グアムに穴を掘り、生きながらえていたのはなぜなのか?

その答えを戦後80年の今、広島で聞きました。

大学教授の幡新大実さん。法律の専門家で、横井さんの妻・美保子さんのおいです。幡新さんはこれまで横井さんの手記を英訳し、イギリスで出版したことも。

多くの日本兵を戦地で縛り付けたのは、陸軍が制定した「戦陣訓」だと強調します。

東條英機 陸軍大臣
「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」

「捕虜になるくらいならば命を絶て」とたたき込まれた訓令です。

横井さんの妻のおい 幡新大実さん
「戦陣訓を破ったから、殺されることはない。軍法会議にかけられるとか。そういうことはありえないと将校は分かる。一般兵士は分からない。(戦陣訓を)本気で信じていた」

横井さんが特に重く受け止めたはずというのが、「常に郷党家門の面目を思い、いよいよ奮励してその期待に答うべし」という言葉。故郷や家族の名に恥じないよう努力せよという意味です。

横井さんは両親の離婚で母1人子1人の状態で育ちました。

横井さんの妻のおい 幡新大実さん
「自分がもしアメリカ軍に捕まって、お母さんに迷惑がかかったら大変なことになると」

横井庄一さん
「親孝行もできなくて、すみません。お国のためにご奉公したんですから。お母さん勘弁して下さい」

帰国した足で詫びる息子。14年前に母は亡くなっていました。

横井庄一さん
「10年たったら日本軍が盛り返して救いの手が来ると。10年で来なければ20年たてば来るだろうと」

国を信じ続け、ジャングルに28年、帰国後、25年の人生でした。

横井さんの妻のおい 幡新大実さん
「国の行為で、ここまで個人は振り回される。その大きさに響いてくるものがあるなと…」