夫をシベリアで失い、息子は東京で
<金井重男弁護士から幕田トメへの手紙 1950年4月8日>
ご夫君をシベリアで、今また、ご長男を東京で、いずれも終戦後に失われ、しかもいずれも非業のお最後を遂げられたものであるのですから、あなた様のご不運の程、余りにもひどすぎると存じます。世の戦争未亡人の比ではありません。思えば稔様のことに関するだけでも四年余のご心痛でした。アメリカ人も余程考えてはくれたのでしょうが、結局、民族が違い、物の考え方が違うことは、乗り越え難い障壁なのです。戦争の起こる原因もここにあるのだということが今度こそ、よく分かりました。
稔様は、よくできておられた方ですから、事が決まった以上はきっと慫容(しゅうよう)として、彼岸に赴かれたと信じます。最初からご自身としては十分覚悟はしておられましたから。
お母様としても又、私としてもすべきことはしつくしたと思いますので、人生とつくしたことに悔いは残りません。今度の結果が神佛のご照覧を受け、いかに相成るか、又、将来の歴史家がこれをいかに見るかを注目したいと存じます。大罰を受ける人は一体誰でしょうか。
















