火の海での体験と医師を志した原点…
当時7歳だった飯田さんは、火の海の中を懸命に走り、神通川の河川敷に逃げました。

飯田恭子さん「私の祖母がこんな感じで四つんばいになって、そしてここに私が入る。こうして寝てた肩に焼い弾が入ったんですよ、破片が入ったから。ほんのちょっとずれていれば生きてない。ここだったからよかった」

肩を負傷した飯田さんが連れていかれたのは、不二越(ふじこし)病院でした。
飯田恭子さん「バケツの中にもぎ取られた手や足が投げ込んであるんです、もう修羅場ですよ」
悲惨な状況の中で命を救われた経験が、医師を志す原点となりました。その後、公衆衛生の道を進んだ飯田さんは、県職員として各地の保健所で所長を務めました。

定年後は、NPO法人を立ち上げて、高齢者の居場所を作った飯田さん。
飯田恭子さん「何グラム食べましょうって言っても頭入らんが。だから見て覚えて、味わって覚える」
栄養バランスやカロリーを考えた昼食を提供し、高齢者が楽しみながら健康管理を学ぶ機会を作るなど、今も地域の第一線で活動を続けています。















