10月の宮城県知事選では村井嘉浩氏が6選を果たしたが、下馬評を覆す僅差での勝利だった。多選や県政運営への批判以上に村井氏を苦しめたのは、SNS上でのデマや誹謗中傷だった。一体、宮城県知事選で何が起きていたのか、地元・tbc東北放送報道部の阿部航介記者(県政キャップ)が報告する。
選挙戦10日目の異変
選挙戦も半ばを過ぎた10月18日。仙台市中心部で街頭演説を行う現職・村井嘉浩氏の様子が、いつもとは全く違っていた。
第一声で見せたような、はじける笑顔と快活な物言いはそこにはない。顔色は黒ずみ、目は下を向いてどこかうつろだ。
そして口を開けば、「水道」「土葬」「メガソーラー」に関する批判への反論と釈明ばかり。若者が多い土曜のアーケード街で足を止める人は少なく、村井氏の言葉は街行く人たちには届いていないように見えた。私は「異常事態」が起きていることを感じ取った。
村井氏は大阪府出身の65歳。陸上自衛隊出身で、自民党会派の宮城県議を務めたあと、2005年の知事選で初当選した。以来5期20年にわたって知事を務め、在任期間は全国の現職知事のなかでも2番目に長い。
そんな村井氏の転機となったのは、何といっても2011年の東日本大震災だ。災害対応の陣頭指揮や復興への取り組みでその手腕とリーダーシップが評価され、長期政権の揺るぎない基盤を築いた。
しかし、在任期間が長くなるにつれ、強力なリーダーシップが「独断専行」「ワンマン」と批判されてきたのもまた事実だ。
村井氏が肝いりで打ち出した「水道の官民連携事業」、県立病院を含む「病院再編」などは、「説明が不十分で強引」などとして、野党議員からの批判の的になった。
去年10月の議会中には、インドネシアなどからの外国人材の受け入れを見越して、イスラム教徒が必要とする「土葬墓地」の設置検討を表明、選挙告示直前に撤回したものの、古巣・自民会派の県議からも苦言を呈されるほどだった。よく言えば「リーダーシップ抜群」、悪く言えば「独善的」とも評される村井氏のこれらの政策群は、残念ながら今回の知事選で誹謗中傷やデマの格好の標的となってしまった。
下馬評を覆す予想外の結果に
今回の知事選には、6選を目指す村井氏に加え、自民党所属の元参議院議員・和田政宗氏など、これまでの最多に並ぶあわせて5人が出馬した。
とはいえ、宮城県特有の大きな争点があるわけではなく、「村井氏の多選」と「村井氏の県政運営の評価」が最も大きなテーマとなるはずの選挙だった。批判はあれど、村井氏の5期目に大きな失敗は見当たらず、私たち記者はみな「ネームバリューに勝る現職の村井氏が、ある程度の差をつけて勝つだろう」と予想していた。
しかし、この予想は当たらなかった。
県内の87万人以上(投票率 46.5%)が1票を投じた投票箱を開けてみれば、村井氏は34万190票、和田氏は32万4375票と、その差が約1万6000票という大接戦。村井氏が辛くも逃げ切ったが、長期政権の現職としては異例の苦戦とも言える結果だった。
しかも、仙台市内だけで見れば和田氏が3 万6000 票余りの差をつけて村井氏を上回っていた。
これまでの村井氏の政策を振り返ると、仙台市内で村井氏への不満が高まっていたことは間違いない。しかし私は、この結果を生んだ最大の要因は「和田氏の戦い方」にあると考えている。和田氏はどんな戦いを展開したのか。














