今年に入って3本のマラソンに出場

箱根駅伝以外でも、太田が驚異的なペースで走ったレースが、初マラソンの東京マラソン(今年3月)だった。中間点過ぎまで2時間2分台ペースで走る先頭集団に、日本人でただ1人、果敢に食い下がった(日本記録は2時間04分56秒)。中間点通過は1時間01分19秒で、ハーフマラソン自己記録の1時間02分30秒を大幅に上回り、30km通過も1時間28分50秒で、服部勇馬(31、トヨタ自動車)が東洋大時代に出した学生記録を2秒上回っていた。さすがにオーバーペースだったようで、低体温症と低血糖値のため36kmで途中棄権したが、積極果敢なレース展開は強烈なインパクトを与えた。

太田選手(25年東京マラソン)

7月のゴールドコースト・マラソンは2時間08分31秒で2位。東京マラソンのようなハイペースではなかったが、マラソンを一度、しっかり完走しておくことを優先した。「タイムや順位よりも、東京マラソンから修正した一部は改善できた」と自身のSNSにコメント。9月のベルリン・マラソンに向けての練習の一環という位置づけだった。

9月のベルリン・マラソンでは10km通過が29分08秒と再度、ハイペースに挑んだが、10km過ぎからペースが鈍り、2時間14分02秒で18位という結果に終わった。マラソン3レースを経験して、太田は次のように自己分析している。

「東京マラソンは給水の中身が良くなかったと思ったので、ゴールドコーストでは中身を変えました。東京ではお尻の筋肉に後半来てしまったので、そこを改善できるトレーニングをしました。ゴールドコーストで改善したところは発揮できたと思います。ベルリンでは1kmで集団から抜け出すところで無駄な体力を使ってしまいましたし、メンタル的にも少し良くなかった部分もあったと思います」

今後は練習方法の変更も考えている。「本当に悔しかったですし、今までやって来た部分を色々変えないといけない、と感じたレースでした。例えばもっと高地トレーニングを行うなど、エビデンスに基づいたやり方を徹底してやっていくべきだと思っています」。マラソンに関してはまだ、試行錯誤の真っ最中のようだ。