■ “黒い赤ちゃん”に対する強烈な負の印象
油症認定患者の宮本 春子さん(仮名)は当時30代──
夫と子ども2人の4人家族で、油を食べ 体に異変が続出しました。


最も症状がひどかったのは、油症が報道されてから半月後に生まれた“赤ちゃん”でした。

油症認定患者 宮本 春子さん(仮名):
「ちょうどぶどう色の様になってたんですよ。もうとにかく何とも言えない。びっくりしました。
産婦人科の先生に『こんな子ども見たことありますか?』(って聞いたら)『いや初めて見ました』って言われて。
先生もびっくりして『(子どもの性別は)どっちやったですか?男ですか?女ですか?』(って尋ねると)『まあそれはゆっくりしてからよかろう』と。
口にも出されない様な状態やったんですよね…先生も」

油に混入していたのは『PCB』という化学物質が熱変性してできた『ダイオキシン類』──ベトナム戦争でアメリカ軍が撒いた『枯葉剤』にも含まれる猛毒です。


ダイオキシン類は胎児にもその一部が移行し、流産・死産が多発 ──。
当時生まれた赤ちゃん達には、ダイオキシン類が引き起こす“色素沈着”が多く見られ『黒い赤ちゃん』と呼ばれて、世間に強烈な“負の印象”を植え付けました。

油症認定患者 宮本 春子さん(仮名):
「(黒みは)自然に取れはしましたけどね。今は普通の肌色ですから。
もう本当に(子育ては)思い出したくもない、口にも出したくない…。
夜中に大学病院に走りこんだりとか…病院じゃないと助かってない。生きるか死ぬかの瀬戸際を成長してきた」