働いていた店から逃走しながらも 改めて師匠の凄さを実感する

畠山 慎也さん
「辛すぎてノイローゼみたいになっていた。仲の良い兄貴分には言ったんです『もう無理です』と。それで退職したんです」
退職した後ホテルや別の店で働いたが、改めて父親である師匠の凄さを感じた。

畠山 慎也さん
「他の店で働いて痛感しましたね。やっぱり親父(師匠)のやっていることはすごいなと。親父がよく言っていたのは『生産者の人たちに恥じない仕事をしろ』。それは本当に叩き込まれましたね」
周りの先輩たちの協力もあり、師匠へ謝罪。再び店に戻ることができた。

10年働いた後、日本料理に一旦区切りをつけ、実家の料理店や神戸市の居酒屋で働いた。そこで人気が出たのが「ラーメン」だった。