
なぜ鶏を刺身で食べるのか?ヒントを求めて調べていると、鳥刺しの歴史が見えてきました。
県養鶏協会が1985年にまとめた鹿児島県養鶏史には、開聞町郷土誌の江戸時代の記録として、「行事には、鶏がつぶされササミは刺身となり」と書かれています。鳥刺しは少なくとも江戸時代から食べられてきたのです。

(鹿児島女子短期大学 福司山エツ子名誉教授)「鶏を飼っている家がいっぱい。みなさんそうだったから。お客様が見えると、おそばとぼた餅と、鳥刺しと、鶏の煮物と、鶏のお吸い物と、そういうものがあったら、最高のおもてなしだったわけです。」

鹿児島の食文化に詳しい鹿児島女子短期大学名誉教授の福司山エツ子さんです。昔は祝い事や来客があると、家々で飼っていた鶏をさばいてもてなしていました。しかし、生の肉は、焼いたり煮たりしたものに比べ、細菌が増えやすいはずですが、どうして刺身で食べられたのでしょうか?

福司山さんの考えるポイントは、さばく過程で熱湯をかけたり、表面を焼いたりすることです。この過程で、完全な「生」ではなく、いわゆる「タタキ」の状態になり、肉の表面の殺菌まで自然と行われていたのではと見ています。
(福司山名誉教授)「熱湯と産毛を取る焼き方を徹底していたのではないか。さばきの過程において、生といえば生の状態。だから刺しというんでしょうかね。焼くという工程なしに鳥刺しとはいえません。」
家々で料理していた江戸時代はそれでよくても、今の衛生基準はどうなっているのでしょうか?