山口さんの子ども時代の貴重なエピソードを母親の明美さんが教えてくれました。

(山口さんの母 明美さん)
「お風呂で歌を歌っていた。仮設住宅にいたのであまり響くのかなと思ってちょっと心配だった。結構お風呂場で歌を歌っている子でした」
山口さんの両親は東京など遠方でのライブにも時折駆けつけ、山口さんの活動をあたたかく見守っています。
(山口さんの母 明美さん)
「何もしてほしいとかはなく、自分がやりたいように頑張ってくださいと言うだけ」

家族の存在、そして地元での被災を含めた経験や記憶が山口さん制作する歌の基盤になっています。

9月、リリースした4枚目のミニアルバムに「光(ひかり)」という一曲があります。
歌詞には山口さんがバンドマンになった原点の体験が書かれています。

「♪真っ暗な部屋の隅で 縋るように聴いてたラジオ
イヤホン越しに見つけた光は 名前も知らない優しいロックンロール …」

(山口大貴さん)
「震災当時、父がラジオを渡してくれて、そこからラジオを聴きだして音楽かっこいいなと思ったのがバンドを始めるきっかけだった。ラジオをもらって音楽を始めるまでの話を最近曲に昇華できた」

「♪きっとあの夜に出会えたから 止まっていた針が動き始めた
憧れが夢に変わっていく 震えていた手伸ばして 未来の鍵を握るのは僕だ」

(山口大貴さん)
「何もかもなくなってゼロから始まった僕でも人に元気を与えられるような活動をしているからそれを見て何か勇気とか与えていけたら」
(夢はありますか?)
「いっぱいいっぱいありますし、大きい会場でライブをしたい、バンド自体も大きくなっていきたいもあるけどその上で忘れたくないのも震災のこと、自分自身のこと、過去。自分にしか歌えないことも忘れずにやっていきたい」

あの当時、ラジオから聞こえていた音楽に影響を受けロックバンドを志した山口さん。

山口さんはこれからも震災の記憶を音楽という「光」にのせて未来を照らし続けます。