◆《朝鮮人労働者に向けられた刃…消せない惨劇の記憶》 

幌加内町で生まれ育った、岡田正直さん91歳。戦時中、地元の朱鞠内国民学校初等科に通っていました。

岡田正直さん(91)
「わが家はここだと思う、絶対ここだ、間違いない」


父親は中国に出征し、岡田さんは母親と実家で暮らしていました。家の隣には、強制労働に従事する人たちの宿があり、朝鮮の語や歌を教わる交流もありました。

そうした日常の中、当時7歳だった岡田さんは、自宅の2階から凄惨な光景を目の当たりにします。

岡田正直さん(91)
「自宅2階の窓から見ていたら(朝鮮人労働者2人が)捕まっていました。彼らは手を縛られている状態で、そばには刀を下げた人がいた。刀を持った2人が、私のほうを振り向いた瞬間、朝鮮人労働者の2人が逃げたら、刀を振り落として首をはねたんです。人間の首が落ちたら、あんな状態になるかと…人に言えないくらい怖かった」


「しばらくしたら、自宅の2階に刀を持った2人が、ダダダって上がって来て『お前、いまの見たのか?』と尋ねられたので“見ました”と答えると、『見た以上は生かしておれん』と言って、刀をあげたんですよ。そのとき、もう1人が『こんな子どもを殺してどうする?』と抑えてくれて、その人に『お前、今のことを忘れるか?』と告げられました」

あの2人は、絶望的な強制労働の日々から逃れようとして、拘束された人だったのではないのか。91歳になった岡田さんにとって、今も消せない記憶です。