◆《厳しい監視下の強制労働…封じられた加害の記憶》
幌加内町朱鞠内には、戦時下の過酷な歴史を伝える博物館があります。2024年9月に開館した『笹の墓標強制労働博物館』です。施設名には“強制労働”の文字が刻まれています。
笹の墓標強制労働博物館 矢嶋宰館長
「戦時下の加害性を問う歴史館、そういった歴史と向き合う博物館、記念館。日本全国、各地にいくら増えても構わないと考えている」
故郷から遠く離れた地で、熾烈を極めた強制労働。博物館の近くには、強制労働の犠牲者を悼む碑が建っています。しかし、本来あるべき場所は、幌加内町朱鞠内から、遠く離れた北海道の別の地でした。
日本最北の稚内市に近い、道北の猿払村。広大な牧場が広がっています。ここで終戦間際の旧・日本陸軍は『浅茅野飛行場』の建設を進めていました。
渡邊農場 渡邊祐世代表
「当時、浅茅野の農家の中心だった平らな土地を、戦時中に空港を作るとなって、立ち退きして、そこに強制労働の人たちを連れてきて空港を作った。対ロシア(旧ソ連)に向けてと聞いたことがある」

戦後、渡邊さんの祖父が移り住み、酪農を始めた地域では、戦時下、飛行場建設という過酷を極めた工事が進められました。乏しい食料事情や厳しい冬の気象条件の中、朝鮮人を含む、約120人の命が失われました。