◆《飛行場建設の強制労働…なぜ慰霊碑は封じられたのか》

水口孝一さん(90)
「この辺からずっと発掘した跡なんですよ」


20年ほど前、当時あった村営共同墓地で、39体の遺骨が見つかりました。飛行場建設の強制労働に動員された人たちの遺骨でした。当時、地区の自治会長だった水口孝一さんは、その時のことを、いまも鮮明に記憶しています。

水口孝一さん(90)
「ブルーシートをかけてあるが、掘った場所をそのままにして埋めなかった。発掘調査の時は地面を1メートル以上は掘っていた。地中には遺骨が重なって入っていました、1つの場所に」


 2013年、猿払村では協議が重ねられ、犠牲者を悼む慰霊碑が、新たな村営の共同墓地に建立されました。ところが、除幕式の数日前、事態は一変します。

水口孝一さん(90)
「『村の方で許可したのか』とか、いろいろな事は言われたようです。当時の村長さんも『どうしようもないわ』って話になって、とりあえずストップしましょうとなった」


遺骨が発掘された2013年から、12年の時が流れました。現在、慰霊碑は、同じ強制労働の歴史を持つ、幌加内町朱鞠内の地にあります。当時、慰霊碑の建立をめぐって、弔いの動きを封じようという声が、猿払村に寄せられたというのです。

東アジア共同ワークショップ代表 殿平善彦さん(80)
「全国から電話で『なぜ村有の墓地にそんな碑を建てるのか?』『正式に許可をしたのか?』と何日間にもわたって、猿払村役場の電話が鳴り続けた…と聞いている。村民の安全が優先ですから…といって、村営の共同墓地に慰霊碑を設置する許可が取り消されて。慰霊碑は建てないでほしいと、村から要請を受けた」


『浅茅野飛行場』の建設現場で、強制労働の犠牲者となった人たち。『東アジア共同ワークショップ』代表で、僧侶の殿平善彦さんも、慰霊碑の建立に尽力した一人です。

東アジア共同ワークショップ代表 殿平善彦住職(80)
「忘れたいと思っている人たちもいるかもしれないけれど、むしろ忘れないでいることのほうが、私たちの社会の未来にとっても重要で意味がある」


暗い歴史であっても、決して背を向けない。その選択こそが、未来への道標になります。

◆《強制労働の歴史に背を向けず伝え続ける…加害の記憶を後世へ》

大竹彩加キャスター)
 「強制労働」が進められた背景には、戦争開始で軍需が高まる中、働き世代の男性が、次々と徴兵され、極端な「働き手不足」に陥った状況がありました。

北海道の調査報告書によると、戦時下の北海道では、本人の意思にかかわらず、日本人のほか、およそ15万人の朝鮮人労働者が強制労働に動員されたとのことです。

堀啓知キャスター)
 強制労働の犠牲者を弔い続けている殿平さんの言葉にも”忘れないことが、私たちの未来にとって重要だ”とありました。加害の歴史から目を背けることは、結果として平和を遠ざけてしまうのではないでしょうか。

過去の事実を見つめ、それを検証し、語り継いでいく…、その積み重ねが、同じ過ちを繰り返さない大きな力になると思います。

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