◆「あの子の努力が、実を結ばなかったのが本当に悔しい」夢半ばで奪われた未来

友規さんは、当時、化学系の研究職を目指して就職活動中だったといいます。

母親:研究職を目指していたので、ひたすら研究をしていました。海外での就職も目指していましたが、まずは国内で頑張って、将来的に海外を目指すのもいいかもしれない、という話はしていました。

悔しさをにじませる母親(2025年9月)

本人が努力していた結果が実を結ぶ直前だったのは間違いありません。頑張って自分のやりたい仕事をするという目標を確実に決めて動ける子だったので、それを成し得なかったことがかわいそうで仕方ありません。

あの子の努力が、就職という形で実を結ばなかったのが本当に悔しいです。

◆夢に出てくると「久しぶりに会えた」…1年経っても受け入れられない喪失感

事故から1年、家族にとっては、現実を受け入れられない日常が続いています。

母親:いまだに受け入れていない自分が間違いなくいます。

初めの頃は、玄関が開く瞬間に「あ、帰ってきたかな」と期待してしまう自分がどうしてもいました。この1年、たまに夢に出てくると「久しぶりに会えた」という喜びがありますが、でも会えないので…。

家族は、常に息子のことを感じているので、リビングに置いてある遺骨と遺影に向かってみんなで話しかけて「これだったらお兄ちゃん絶対こう言ったよね」といった会話をよくします。でも、やっぱり、まだ全く受け入れられません。

(遺族提供)

来年3月には就職して初めて家からいなくなるタイミングだったので「本来だったら今こうだったね」と頭の中で考えてしまい、さらに寂しく思います。

取材も、初めの頃はとても受けられる状況ではありませんでした。誰に対して何を訴えるという気持ちもなくて、ただただ自分たちの家族を守るだけで精一杯でした。

今は、少し聞かれたことに対して、考えて話せる状況になってきたのかなという心境の変化はあったかなと思います。

【第2部】へ続く 処分保留で釈放された飲酒運転の男性への両親の憤り

■この記事は、3部構成です。
【第1部】「どれだけ泣き叫んでも、本人は二度と目を覚ましてくれない」24歳の息子を奪われた両親…受け入れられない現実
【第2部】「人殺しとしか言いようがない」処分保留で釈放された飲酒運転の男性への強い憤り24歳息子を奪われた両親の叫び
【第3部】1年経っても処分保留のまま…「静かに待つしかない」両親の葛藤と願い “判断が出ない”理由について専門家は

※亡くなった田中友規さんの両親へのインタビューは、事故から1年を前に、15日に行ったものです。