「夢のような時間でした」

以前、男子100mの世界大会準決勝を走った選手の指導者から、「準決勝と決勝の間に何をして、どういう気持ちで過ごすのか、一度でいいから経験してみたい」という話を聞いたことがあった。指導者冥利に尽きる時間になることが想像できるのだろう。

100mは準決勝と決勝の間が2時間程度なのに対し、400mは中1日という違いがある。梶原監督は今回、ウォーミングアップからレースまでの時間が「夢のようだった」と言う。

「前半飛ばした選手がペースダウンするところを上手く拾っていけば、メダルを取れるかもしれない。そう思ってすごいウォーミングアップをして、アップの1本1本の動きを見て、最後に(メダルも)狙ってやろうと送り出す時間は、ジョセフにも僕にも本当に良い時間でした」

そして決勝の舞台に立った中島を見て涙したが、梶原監督はレース翌日に中島に会うと早くも課題を話し合った。

「意外と最後も元気(余力)がありました。残り120mくらいから追い上げましたが、もう少し早く、残り150mくらいから行っていたら、4~5番まで上がった可能性があります。本人も決勝に行けたことで満足感はありましたが、この場に来たならもっとやってやる、という気持ちが大きくなったそうです」

レース展開だけにとどまらず、今後のトレーニング方針も話し合ったという。

「入学してきた頃と比べれば、接地中に潰れる点などは改善されてきましたが、ジョセフの走りにはバネバネしさがありません。足首、ヒザ、腰の関節をギューッと押さえて、ポンと前に弾む推進力に変えられたら、もっと楽にスピードが出ます。今と同じ力感で、200mを21秒台前半で通過しないと43秒台は出せません」

今大会の200m通過は予選が21秒52、準決勝は21秒65、決勝が21秒68だった。高野は86年には200mの日本新を出しているし、90年の北京アジア大会200mは優勝している。44秒78の記録も、91年東京世界陸上の7位も超えた中島だが、高野は当時としてはスピードのある選手だった。

「まだ高野さんを超えていないと思いますよ。高野さんは92年バルセロナ五輪でも決勝に残っていますし、日本記録を1人で46秒中盤から44秒78まで引き上げました」

夢の時間が終わった瞬間から、師弟は次の夢へと走り始めている。

(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)