90歳の生存者 忘れられない“母の言葉”

マレーシアの別の村ぺダスには、虐殺事件の生存者もいました。

鄭来さん(90)。

日本兵に刺された銃剣が背中から胸にかけて貫通した傷がいまも残っています。

虐殺事件の生存者 鄭来さん(90)
「(日本兵は)住民を数人の小さなグループに分けて連行し殺害を始めました」

当時6歳だった鄭来さんは、家族やほかの住民らとともにゴム農園に連れて行かれ、日本兵から一列ずつ並んで跪くよう指示されました。そして、銃剣で次々と刺されたのです。

鄭来さんの目の前で家族5人が殺されました。かろうじて意識が残っていた鄭来さんは血だらけになった弟を連れて森の中を逃げ回り、一命を取り留めました。

「お前は生まれてくる時代を間違えたのかもしれないね」

母親が亡くなる前につぶやいた言葉が今でも忘れられないといいます。

虐殺事件の生存者 鄭来さん(90)
「何の罪もないのに家族が殺されました。(日本兵は)人間の感情なんてなかった。どうしたらこんなにひどいことができるのですか」

橋本和正さんは、これまで2度マレーシアの虐殺現場などを訪問し、現地の住民たちとの対話を重ねてきました。

スンガイルイ村で和正さんの訪問に立ち会った華僑の林栄源さんは「失われた命は二度と戻らない」としたうえでこう話します。

親族が日本軍に殺害された林栄源さん
「(日本人に対する)憎しみというのはありません。ただ私が言いたいことは二度と戦争を繰り返してはならないということです」

戦後80年を迎えた今、和正さんは日本の“加害の歴史”から目を背けず、決して忘れてはならないとの決意を新たにしています。

橋本和正さん
「(加害の)歴史を伝えていかなければ(戦争の)本当のことが伝わっていかない。再び戦争を繰り返すことになってはいかんという思いで事実をきちんと学んで伝えていきたい。“私の戦争責任”として感じるのは、今後絶対日本が戦争を起こさない、そのための活動というのを続けていきたいと思っています」

取材:JNNバンコク支局 村橋佑一郎
撮影:JNNバンコク支局 倉上僚太郎