飛躍的に精度が上がった気象予測

――森田さんは日本気象協会に入職して1974年から東京本部で活動し、1992年に日本初のフリーランスのお天気キャスターになり、民間の気象会社であるウェザーマップを設立されました。半世紀以上気象情報に携わってきて、どのような変化を感じていますか。

森田 コンピューターによる予測の精度が良くなったことですね。東京に転勤した頃はコンピューターによる数値予報と言われるデータがあったものの「こんなものは当たらないだろう」と参考にする程度でした。それが、1977年に気象衛星ひまわり1号が打ち上げられたのを境に、どんどんコンピューターの予測が良くなりました。

僕にとっての分かれ目は、1990年11月30日に紀伊半島に上陸した台風28号でした。日本で最も遅く上陸した記録を持つ台風ですね。3日前くらいに数値予報が上陸するデータを出しているのを見て、みんなで「ありえない」と笑っていました。10月でも5年に1回くらいしか上陸しないわけですから。ところが、本当に上陸しました。この結果を受け入れて、それからはコンピューターと人間とが違っていたら、コンピューターを信じるようになりました。

――その4年後の1994年からは、気象予報士制度が始まりましたね。

森田 一回目の試験で不合格だったのは、今でも心の傷になっています(笑)。制度ができたのも、コンピューターの精度がすごく良くなって、ガイダンスを読み取ることで予報ができるようになったからです。それまで内輪では、気象予報には「屋上派」と「地下室派」があると言われていました。屋上派は外に出て、今の天気を見ながら今後の予報を語る人。地下室派は空を見ずにコンピューターと数字だけで考える人です。

――ということは、森田さんは地下室派ですか?

森田 もともと屋上派でしたが、1990年の台風28号をきっかけに心の中では地下室派に転向しました。でも、視聴者の皆さんは天気を見ながら伝えてほしいと思うでしょうから、数値予報を使って予測しながら、外に出て伝えていました。だから、僕の予報は当たるんじゃないかといった信頼を得ることができたと思います。