2人に1人が生涯のうち、一度はがんになる時代と言われています。治療の過程で外見に大きな影響が出ることもあるがんという病気ですが、そんながん患者のための写真スタジオが大阪にオープンしました。
一人の写真家と、そこに集まる患者たちの思いを取材しました。
■がん患者を撮る“フォトセラピスト”

西尾菜美さん48歳。彼女がカメラを向けるのは、がんを経験した人やその家族。西尾さんは自らを「キャンサーフォトセラピスト」と呼ぶ。
脳腫瘍を経験した男性
「お母さん、いつもありがとう」
こちらの女性は2歳の時、網膜にがんが見つかり、右の眼球を摘出した。それ以来20年余り、義眼で過ごしている。
治療のため長い間、眼帯が外せなかった彼女。きれいな写真を撮るのが夢だった。

女性
「眼帯のない写真、こんなにきれいに撮ったの初めてです。いい思い出になりました。夢、叶いました」
西尾さんは大学生だった頃、人の自然な笑顔を撮ることの楽しさに気付いた。写真スタジオに就職したものの、雰囲気に馴染めず挫折。様々な仕事をしながら、写真は趣味として続けてきた。42歳の時、大阪のがん専門病院で広報の仕事に。イベントで撮った笑顔の写真を患者さんに喜ばれ、呉服店が経営する写真スタジオに転職を決めた。
病院を辞めた今も大切にしているつながりがある。患者と病院スタッフで作るマラソンチームだ。

記者
「皆さん元気ですよね」
西尾菜美さん
「元気すぎるよ。おかしいよ。治療中やで。ええの?あんなんして」
マラソンに参加したいと治療を頑張るメンバーもいて、患者を元気にするのは医療の力だけではないと知った。
写真スタジオに勤めていた去年、西尾さんは、がん患者のための撮影会を企画した。そこで出会った一人の青年が、彼女の人生を変えた。
■「最後に晴れ着姿を残したい」20歳を迎えることが目標の男性から届いたメール

西尾さん
「めっちゃはっきり覚えていますよ。僕はきのう余命宣告を受けました、白血病です。僕は今月で二十歳になります。でも来年の成人式には出られないかもしれません。最後に晴れ着姿を残したいので、っていうメールだったんですよ」
乾野大地さん。18歳の時に急性骨髄性白血病と診断された。病状が重く、20歳を迎えることが目標になった。そんな中、撮影会のことを知った母親が西尾さんに連絡を取った。撮影は、看護師立ち合いのもと行われた。20歳の誕生日の5日前のことだった。

大地さんの母親
「いい記念になります」
大地さん
「ありがとうございます」
西尾さん
「カメラ構えたときにはすごい笑顔、カメラを構えていなかったらしんどそうにしていて。すごく一生懸命にやってくれてるなっていうのが伝わってきたんですよ。一瞬一瞬を振り絞った笑顔で、みんなに残したいっていうのが伝わってきて。この1時間をすごい思いで来てくれたっていうのが最後にすごく伝わって、彼はそのあとまた病院に戻ったんですけど。あの経験はやっぱり、みんなスタッフは忘れられないって言って」

撮影の3週間後、大地さんは亡くなった。20歳になって18日後だった。遺影には、西尾さんが撮った晴れ着の写真を自ら選んだという。
大地さんの兄 海人さん
「いろんな写真があるなかで『これがリアルな自分やから』って、この写真を遺影にしたいということで選びました。穏やかな笑顔をしているじゃないですか。そんな笑顔が見られたのは久々だったので、それはこの撮影会があったからなのかなと思っています」
写真を撮った後、大地さんは西尾さんに一通のメールを送っていた。「治療で戦い抜いた坊主頭と20歳の晴れ着姿を気に入っています」と。
自分が撮った一枚の写真。そこに込められた思いの大きさに気が付いた。
西尾さん
「彼のおかげで私も新しい道が。何かしたいと思っていて、それがこれは見えたと思って。彼のおかげです、ありがたいと思っています。これからいろんな人の笑顔を撮っていくのに常に大地君がいるんです。本当に感謝しているんですよ」
大地さんの母親
「私たちの方が思い出をたくさん作ってもらって。いつも目にする大地があの姿なので。感謝しかないです」
西尾さん
「本当にずっといてるので」
写真を撮ってほしいと願うがん患者は他にもいるはず。今年6月、西尾さんは独立しスタジオを立ち上げた。
西尾さん
「どうなるかわからない。やってみなきゃわからない。だからなるべく最初はお金をかけずにちょっとずつ、ちょっとずつ」

がん患者向けに「キャンサーフォトプラン」という特別プランを作った。料金は通常の2割引き。必要に応じて看護師も立ち会えるようにした。抗がん剤治療のタイミングやウィッグをつけての撮影など、患者や家族と何度も話し合いをしながら撮影にのぞむ。そのプロセスすべてが「フォトセラピスト」の役割だという。