■医療×写真の可能性 患者と家族が願うこと
大阪市城東区に住む中村茉緒さん。29歳だった去年の夏、ステージⅣのすい臓がんが見つかった。今も、母親の典代さんが時々、家事を手伝いに来てくれている。

すい臓がん患者 中村茉緒さん
「救急の部屋で点滴打たれながら、すい臓のところにぷくっと影があって 、たぶんすい臓がんですって言われて。さらっと言われたのでハッてなったけど、自分が死ぬとかより、親になんて言おう?しか。隠せないし、そこしか思わなかったですね」
茉緒さんには、付き合って9年になる交際相手がいた。同い年の真悟さん。がんと言われた翌日、真悟さんは指輪を買いに行こうと誘い、プロポーズした。

中村真悟さん
「正直すごく動揺したっていうのもあるんですけど、なにかできることがあればやってあげたいなと思って、そういう行動に移っていました」
Q.指輪を買いに行こうといわれたとき、茉緒さんは?
茉緒さん
「8割ぐらいあかんって思いながら、2割は体が動いていたみたいな。本当は病気がわかるまでは結婚したくてしたくて、早く子供が欲しいっていう思いは強かったんですけど、29歳だったので。だけど病気がわかってから結婚ってなったら、死んでしまうかもしれないのにこの人に一緒にそのことを背負わせてはいけないっていう思考に一瞬にして変わってしまって、もうダメダメって言って。『いや買いに行く』って言って」
夫婦になった2人で、厳しい治療との闘いが始まった。医師からは、最新の治療でも5年生存率は30%と言われた。抗がん剤の影響で髪は抜け、副作用にも苦しんだ。
手術は13時間に及んだ。退院して茉緒さんが驚いたことはー

茉緒さん
「こんな本が山盛りでてきて、知らんうちに勉強してくれていて、いきなりがんについて詳しくなったと思ったら全部丸暗記していて。本当に何の知識もなかったんですけど、『病院の先生からこう言われたよ、ああ言われたよ』って言ったら『次はこうなっていくからこうやねん』とか、なんで知ってるの?みたいな。ジャンプしか読めなかった人がこんなん読むんやと思って」
手術の影響で食が細くなった。今も、再発を防ぐ抗がん剤治療が続く。1週間薬を飲み続け、1週間休む。薬を飲んでいる期間は吐き気にも悩まされる。1回に飲む薬は10錠。指先に力が入らないため、真悟さんが薬を出す。
手術を終え、がんとの新しい付き合い方が始まったこの夏、茉緒さんはある計画を立てた。
西尾さんのスタジオで、写真を撮ってもらおうというのだ。
Q.結婚を決めてから写真を撮る機会は?

茉緒さん
「ないですないです。それこそ髪の毛がなかったので写真を撮りたくなかった。抗がん剤で顔もパンパンになったりとか顔色が悪い、顔むくんでいる、髪の毛はない。ウィッグを被っているときもわからないように帽子を被ったりしていたけど、あんまり積極的に写真撮ろうとはならないと思うんですよね。残したくないっていうのもあるし。そういう機会があるんやったら大きな手術を乗り越えて、あれだけしんどい抗がん剤を乗り越えた自分も撮ってほしいなと思って」
衣装はたくさん試着した中から、結婚直後だからと、白地の振袖に決めた。
いよいよ茉緒さんの撮影の日。西尾さんとは振袖選びの時から何度も話し合ってきた。今では髪型から体調の変化まで、すぐにわかってもらえる関係だ。母の典代さんと、祖母の善江さんも晴れ着姿を見に駆けつけた。

西尾さん
「撮りますよ、笑顔でね」
「お母さんにも『いつもありがとう』って言ってあげて」
茉緒さん
「ありがとう」
撮影から1か月。

「手術して3か月の笑顔ってすごない?自信に満ち溢れていると思うわ。ちょうど去年の今ぐらいにがんがわかったので。笑って写真撮れるって当時は思ってなかったから、笑っていられてよかったなって思う、泣いてないし。どうなるかわからん不安な1年やったけど、手術も終えてこうやって笑えた撮影会やったから、西尾さんがきれいに撮ってくれたから、よかったな」
喜びを西尾さんにもー
茉緒さん
「私は傷がおなかにあるから見えないものやけど、表情にも出てくると思うんですよ。傷ついた心とか苦労した面とか、うまく笑えなかった時期もあるから。本当に自然すぎるぐらいの、いつもの私プラスきれいにしてもらった姿やから」
西尾さん
「写真がどこまで支えになるか、私もこれからどんどんやっていかないといけないなと思ってるんですけど、中村さんとか皆さんが言ってくれる声が力になる」
また来年も写真を撮ってもらいたい。だからそれまで、がんばって生きていこう。茉緒さんと真悟さんは、そう言って笑った。

西尾さん
「写真の力を医療と掛け合わせたい。これから治療に向かう患者さんのポジティブアイテムじゃないですけど、支えになるもの。私と出会って写真を撮るまでのプロセスと、写真を撮ったその日の一日すべてが時間をもらっているので、時間って命なので、その人の人生のなかの一部なので、その一部の経験を宝物にしてほしい。この写真を見たときにその経験を思い出してもらえる。すべてを持って帰ってほしいと思います」