岡山県瀬戸内市長島に、国のハンセン病療養所、長島愛生園はあります。

園長を務める医師の山本典良さんが、8月31日、岡山市北区表町の「詩人 永瀬清子とハンセン病文学の読書室」で講演しました。

山本園長が語った「ハンセン病に対する差別・偏見、コロナ禍を経て、いま伝えたいメッセージ」とは。全3回シリーズの第1回です。

(山本典良園長)
「ハンセン病の患者が差別されてきた負の歴史やコロナ禍を経て、後世に生かすことができるかをお話しできたらと思っております。

そのためには、ハンセン病はなぜ忌み嫌われたのか、負の歴史の活かし方、日本社会に足りない考え方について触れたいと思います。

私としては、ハンセン病療養所が人権教育の場として、誰一人取り残さない寛容な共生社会の実現に少しでも役立つことができれば、後世に残す価値があると考えています。

まず、簡単な自己紹介をします。私は生まれも育ちも岡山です。岡山市富田町という裁判所の近くで生まれ、岡山大学附属小学校、附属中学校、岡山操山高校に通いました。

そして、岡山大学医学部を卒業しました。私は1963年(昭和38年)生まれなんですけど、学校の教育、医学部に入ってからも含めですね、ハンセン病について全く授業、講義がなかったのです。

私は、心臓血管外科を目指しまして、いろんな病院に勤めました。広島の呉共済病院とか、東京の方の病院も行きましたし、昭和大学横浜市北部病院、ニューヨークのコロンビア大学で研究をして、ニュージーランドのオークランドシティ病院で、臨床を2年間などしてきた経緯で、25年間は、心臓血管外科医で、腕を磨いていたのですが、12年前にたまたま愛生園の副園長というポストがあって、そこに移って10年前から園長をしています。

ですから、私自身、ハンセン病について詳しく調べだしたのが12年前です。私はハンセン病に関して、関わっていた年月は、12年なんですけど、逆に私は1996年に『らい予防法』が廃止されたという、その当時のいろいろな思いがあったのを、その場にいなかったので、客観的な目で見ることができると思っています」

長島愛生園 山本典良園長