語り継ぐべき「雲仙の教訓」

松島先生が言っていた「教訓」、一言では言えませんが、行政、政治、メディア、さまざまな分野で「こうした方が良かった」「こうしたことが良かった」と、いろいろな教訓があります。

太田先生は「自然をもっと恐れるべきだ」と強く言っていました。メディアに対して勧告したのに避難していなかった、と私もずいぶん怒られました。

メディアにとっても、取材過程での教訓はたくさんあって、大火砕流から10年間「マスコミと市民の対話集会」を開き、住民との対話を続けてきました。取材は「生きて帰る」ことが大前提でなければいけない。でも、火山噴火の規模は想像を超えました。大火砕流が何百メートルも伸びてくるとは思っていなかったのです。

市職労が出した「雲仙普賢岳噴火災害記録集 Vol.8 -災害の体験と教訓を後世に-」(1998年)で、鐘ヶ江さんは「自然には敵わないということ、これが第一の教訓です」とはっきり言っていました。私も本当にそう思っています。そして、雲仙からはっきりと防災対策やメディアは変わってきました。ただ、あまりに痛恨の事故でした。

お茶目だった鐘ヶ江さんに合掌

当時の記事のスクラップ帳から、剃髭式の様子

鐘ヶ江さんは、人柄が明るくて、面白い人でした。

神戸:鐘ヶ江さんってなんかちょっと、お茶目で。言い方が悪いけど、少し子どもっぽいところもなかったですか。

松下さん:ありましたよね。

神戸:だいぶ年上の方なのに、失礼ですけど。

松下さん:明るくて、ジョークも大きな声でおっしゃって、気さくな方でした。大きな子どもみたいな気さくさがあったなあ、と思います。

神戸:派手なことも好きでしたよね。

松下さん:そうですね。はい。

神戸:ヒゲを剃る時、「剃髭式(ていししき)」が開かれました。

松下さん:神戸さんも出られたですよね。

神戸:ヒゲを剃る時に式を開く人、私は初めて見たんですが、目立つことが好きでした。

松下さん:そうですね。PRはすごくされていました。誰かが表彰されたり、何かいいことをして新聞に載ったら、必ずその方には「見たよ、頑張っているね」と電話をされた。よく声をかける心遣いを持っている人だと思っていました。

神戸:そういう人だから、義援金がたくさん集まったっていう面も…

松下さん:あると思います。

1992年に菩提寺で開かれた剃髭式は、相撲の断髪式みたいな感じで、20人くらいがヒゲにハサミを入れていって、私たちは取材しつつ「これは、どう思ったらいいのだろうなあ…」と考えながら、記事を書きました。

そり落としたヒゲで作った能面

そういった憎めないところもある鐘ヶ江さんが真剣に「普賢岳災害と戦っている人を助けてくれ」とメディアで伝えたことは非常に大きな意味があり、230億円もの義援金が集まってきたのです。これが災害復興の原資となっていったわけで、鐘ヶ江さんのやったことは非常に大きかったと思います。参列した人たちも改めてそうおっしゃっていました。

◎神戸金史(かんべ・かねぶみ)

1967年生まれ。学生時代は日本史学を専攻(社会思想史、ファシズム史など)。毎日新聞入社直後に雲仙噴火災害に遭遇。東京社会部勤務を経てRKBに転職。やまゆり園事件やヘイトスピーチを題材にしたドキュメンタリー映画『リリアンの揺りかご』(2024年)は各種サブスクで視聴可能。5月末放送のラジオドキュメンタリー『家族になろう ~「子どもの村福岡」の暮らし~』は、ポッドキャストで公開中。