転機が訪れたのは安藤さんが江川崎の高等小学校2年生14歳の時でした。
◆安藤愛知さん
「学徒銃を取れという時代でしてみんな『満州へ行く』とか『〇〇隊に入る』とか特攻隊にもその時点から入る訓練をする話もあったんですけど、私はそれよりも船乗りが一番いいだろうと思って養成所に入って船に乗ったんですよ」
「日本が負けるとは思ってなかったので、勝ったら世界中いたるところに一番乗りで行けると思っていた」
無邪気な子供心から船乗りの道を選んだ安藤さん。神戸にあった船員の養成所に入ります。“船員”の養成所ですが日課は“山登り”だったということです。
◆安藤愛知さん
「六甲山の五合目ほどまで毎朝、飯も食べずに、本当入ってすぐ走るような、腹が減ってね、それでも走ったんでね、近道して戻る人も多かった」
1か月にわたる養成所生活を終え、ついに世界の海へ繰り出した安藤さんですが、夢に見た優雅な船旅ではありませんでした。
安藤さんが乗っていたのは、日本郵船の「江ノ浦丸(えのうらまる)」。

自宅には船のデータや船員の情報に関する資料も残っていて、安藤さんの名前も確認できます。

安藤さんを乗せた江ノ浦丸は兵員や物資を南方の戦場に送る輸送作戦の一端を担っていて、大連や、台湾、フィリピン、釜山などアジア各地の港へ進出。敵の潜水艦から逃げるため、進行方向をあちらこちらに変えながら進むなど常に危険と隣り合わせでした。
当時の安藤さんは日本が負けるとは思ってもいなかったそうですが、「江ノ浦丸」が運ぶ物資には時代錯誤ではないかという違和感があったといいます。
◆安藤愛知さん
「馬を連れ犬を連れ鳩を背中に背負って行くような時代では無かったと思うが、そういう兵隊をずらりと船に乗せて『これでいいのかな』と思った。大正時代に作った大砲、速射砲もあったね、古い時代のもので大丈夫かなと思って。敵は水陸両用の戦車で上陸してくるような時代に」
安藤さんが運んでいたのは動物や兵器だけではありませんでした。