太平洋戦争当時の学童疎開船「対馬丸」が、アメリカ軍の魚雷攻撃で撃沈されてから22日で81年です。
那覇市で慰霊祭が開かれ、遺族らが鎮魂と恒久平和への祈りを捧げました。

今から81年前の1944年8月22日、学童疎開船「対馬丸」は、長崎へ向かう途中にアメリカ軍の潜水艦から魚雷攻撃を受け、学童784人を含む1400人余りが犠牲になったとされています。

午前11時から「対馬丸」の慰霊碑である那覇市の「小桜の塔)」で、遺族らが出席して慰霊祭が開かれています。
対馬丸記念会の高良政勝さんは、「争いのない平和を願い次の世代へと繋げていくことこそが亡くなられた方々への供養だと思います」と追悼の言葉を述べました。

▽姉を亡くした山内好子さん(90)
「長いこと線香あげに来ていなかった。もう姉の顔もはっきり覚えていないんですよ。二度と戦争はないほうがいいと思います」
▽祖母が生存者
「二度と起こらないようにするためにおばあちゃんの経験したこととかを(次の世代に)伝えていきたいです」
遺族らは、この悲劇を二度と繰り返してはならないと鎮魂と恒久平和への祈りを捧げました。
対馬丸をめぐっては、内閣府が、船体調査を年内にも実施する方向で調整を進めていることが関係者への取材で分かりました。
内閣府は当初、慰霊祭が行われることし8月までの実施を目指していましたが、天候不良の影響で先延ばしになっていたということです。