『九軍神』おいの葛藤「戦争によるヒーローは不要」
戦後、国がまとめた資料では次のように記されています。『特殊潜航艇による攻撃は、物的戦果は収められなかったが、海軍部内に特攻的精神を盛り上げた効果は大きい。』
大本営は3か月後、1人が捕虜になった事実を隠し、横山中尉ら戦死した9人について『九軍神』と発表しました。
(横山中尉のおい 横山正照さん・81)「家の前を通る人たちは、表札に最敬礼をしていたそうだ」

当時、「鹿児島県教育会」が出版した本です。『九軍神の中に、わが郷土出身の海軍少佐横山正治氏がいたことは、伝統に輝く武の国・鹿児島の県民を感激の絶頂に達せしめた。』
(横山中尉のおい 横山正照さん・81)
「横山家から誇れるような人材がいたことについては、私自身も尊敬している。敗戦でなければ、さらにみんなから高い評価を受けたであろう」
「敗戦後は罪を犯した犯罪人のように(文献などで)非難されていたのが、私としては心残りがする」

横山中尉の10歳上の兄、正照さんの父・正利さんです。戦後、弟のことを家族に話すことは一切なかったといいます。
(横山中尉のおい 横山正照さん・81)「なぜか不思議と教えてはくれなかった。世の中が(軍神に)批判的な部分がなきにしもあらずだったので、父は他言しなかったのではないか。戦争はあってはならない、戦争によるヒーローは不要」
