戦後80年、今回は、太平洋戦争で「軍神」と呼ばれた鹿児島出身の横山正治中尉です。世間の目の変化を受け、複雑な思いを抱える親族。そして、時代にとらわれず、事実を語り継ぎたいと願う研究者を取材しました。

昭和14年ごろに撮られた家族写真。中央に写るのは旧日本海軍の横山正治中尉です。鹿児島県出身で、真珠湾攻撃に参加し、戦死。22歳でした。

横山中尉の兄の息子でおいにあたる横山正照さん(81)。鹿児島市に暮らしています。

(横山中尉のおい 横山正照さん・81)「60年くらい前の話だが、墓を掃除していたところ、ある小学校の先生が児童を7、8人引率して、社会勉強のためと墓を訪れてくれたことが何度かあった」

大正8年、鹿児島市下荒田町で生まれた横山中尉。鹿児島二中、現在の甲南高校を卒業後、17歳で海軍に入りました。

昭和16年12月8日、日本軍が、ハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まりました。戦闘機による攻撃などで敵戦艦5隻が沈没、アメリカ太平洋艦隊に壊滅的な打撃を与えました。

横山中尉が乗り込んだ特殊潜航艇です。長さ24メートルで乗員は2人。魚雷が2本搭載されていました。

横山中尉ら10人が乗り込んだ5隻は真珠湾から18キロ付近で潜水艦から発進。湾内へ侵入し敵艦を攻撃、その後潜水艦へ戻る作戦でしたが、1隻も帰ってきませんでした。