検挙で賞金「天皇の警察官」の自負

治安維持法犠牲者たちの国家賠償を求める団体が作った映画がある。「種まく人びと」。その中で、特高警察官の父親を持つ男性が「国体を護ることが使命だった」と語っている。

特高警察官の子息 谷岡健治さん
「普段から天皇陛下を大事にしていた。天皇の警官だということで。天皇のためにと務めた。ご奉公したんじゃないでしょうか」

父の谷岡茂満さんは、1929年から13年にわたり特高警察官として働いていた。全国で共産党員ら300人が検挙された「三・一五事件」を始め、数々の治安維持法事件に携わってきた。

茂満さんが残した特高警察時代の資料が、今も家族のもとに大切に保管されていた。

谷岡茂満さんの孫
「自序、茶封筒の中にまとまって置いてあった。書いてる内容も分かりづらいというか」

茂満さんは、自伝で当時の社会情勢について、こう語っている。

「この時代の思想は、欧州大戦後の外来に侵され、自由主義、個人主義観念横流し、綱紀頽廃(=国の秩序が廃れる)し、三綱五常(=人として重んずべき道)の道に悖る者、甚だ多し」

天皇の警察として職務に忠実だった茂満さんは、共産党員や労働組合員などを治安維持法違反で次々に検挙した。そのたびに高額な賞金が与えられた。

仕事ぶりも高く評価され、最後は警察署長にまで上り詰めた。

小樽商科大学 荻野富士夫 名誉教授
「捜査検挙につき特別賞金六十円。今で言えば(月給)三十万ぐらいだったら(賞金)三十五万円というような臨時の手当を受ける。特高畑というのは花形、主流的な警察の中での存在であったということですね。『自分たちが国家のために、天皇のためにやってるんだから報われるべきであり、実際に報われてきている』ということですね」