暴走した法律で自由を奪われた103歳の男性に話を聞きました。最後の生き証人が伝えるメッセージです。
言われなき罪 投獄された103歳

日常の何気ない風景を絵にしただけで投獄された人がいる。菱谷良一さん(103)。

日下部正樹キャスター
「ここは?」
菱谷良一さん
「車庫だったけど物置代わりに、昔の絵見て懐かしいなと思ってね。これはアメリカのコロラド。これはジョンウェインだ。懐かしいな」
子供の頃から絵が得意だった菱谷さんは、15歳の時、美術教師になることを夢見て北海道の旭川師範学校に入学。美術部に入り、絵を学んだ。

当時、北海道では現実の生活をより良くするため、身の回りを観察し、ありのままを絵にする「生活図画教育」が盛んだった。

それを実践していたのが美術部の教師・熊田満佐吾さんだ。東京美術学校を出て、旭川に赴任した熊田さんは、工場で働く人や兵士の絵などを学生に描かせていた。
しかし、戦争を推し進める国は、こうした教育すら許さなかった。
太平洋戦争が始まる1941年の1月、熊田さんが特高警察によって逮捕され、そして、9月には菱谷さんも捕まった。その決め手とされたのが、この絵だ。

菱谷良一さん
「取り調べは『共産主義の本だ』と言う」
学生が語り合う姿を描いた作品「話し合う人々」。これを、特高警察は“共産主義の本を読んでいるに違いない”と決めつけ、菱谷さんを治安維持法違反で逮捕した。

日下部キャスター
「これは学生の生活をそのままリアリズムとして書いただけだと?」
菱谷良一さん
「理想の学生の姿を気負い立って描いた」
日下部キャスター
「ところが、特高警察はそう見なかった?」
菱谷良一さん
「特高警察は『共産党宣言だ』という」
日下部キャスター
「それまでに菱谷さんは、『共産党宣言』とか『資本論』とか読んだことありますか?」
菱谷良一さん
「何もない。知識として『アカ(共産主義)って何だ?』と聞いたことはある」
警察署での取り調べで菱谷さんは、いきなり「お前は共産主義運動をした」と決め付けられた。「違う」と言うと、途端に殴られたという。
日下部キャスター
「ビンタ?」
菱谷良一さん
「うん。抵抗した奴はうんとやられる。俺なんか意気地なしだから」

これは、菱谷さんが描いた取り調べの様子のスケッチだ。特高警察は共産主義に関する本を何冊も用意し、菱谷さんを無理やり共産主義者に仕立て上げようとしたという。
菱谷良一さん
「『共産主義、経済原論、マルクスは何か』と言われても分からない。『ここにある本、見ればいい』と。一生懸命見て、まとめて出した。みんな作文だよ。そして、自白調書に判を押させる」
当時まだ19歳。抵抗することもできなかった菱谷さんは、自白調書に押印することになってしまった。
菱谷さんは旭川刑務所に移送され、独房で軍隊の背嚢や、かばんの補修作業などをさせられた。

日下部キャスター
「この表情は何を訴えているんですか?」
菱谷良一さん
「煩悶、自由でないから、苦しい内心」
日下部キャスター
「死のうと思ったこともあるんでしょ?」
菱谷良一さん
「ある。だから錐とか針をこうやって、痛いんだわ」
零下30度にもなる刑務所での生活。投獄は1年3か月に及んだ。