あまんきみこさんの記憶する「ヒロシマ」

今回の絵本には、幼い子どもの目にも止まりやすいように、元の挿絵だけでなく、ちひろさんの別の作品から、彩りのある子どもたちや花の画が使われています。

さらに、児童文学作家・あまんきみこさんの寄稿文も加わりました。

今年94歳になるあまんさんは、旧満州で生まれて、戦争終結も大連で知ったそうです。

児童文学作家 あまんきみこさん
「その天皇陛下の言葉を聞いたんだけど、やっぱり中学2年生なので、あんまりよくわからないね。あ、そっか、天皇陛下が耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで戦争に励みなさいって言ってるんだなって私は思ってた」

引き揚げたのは、2年後。佐世保から大阪に向かう列車が停まっていた明け方の広島の風景をはっきりと覚えているそうです。

児童文学作家 あまんきみこさん
「なんかこう、バラックみたいなのがバーっと。それで、向こうは家がないんですよ」
「『広島は新型爆弾で町がなくなった』って父が。なんか母が『ここにいた人たちは・・・』って言ったと思うんだけど、絶句しちゃって。母がこやって手合わせてたんですよ」

あまんきみこさんの作品は、これまでに180を超え、国語の教科書に掲載されるなど広く知られています。自分の芯の部分には戦争があって、子どもに向けて書くものには、おのずとそれが表れると言います。

児童文学作家 あまんきみこさん
「私が生まれた時に満州事変が起こってるんですよ。それで、ずっと戦争でしょ。だから、書かずにはいられないのよね」