「若い人達に読んでもらいたい」・・・いわさきちひろさんの覚悟

ちひろ美術館 松本猛常任顧問
「原爆で何が起こったのかっていうのは、おそらく丸木夫妻からものすごく聞いてるはずなんです。ですから、自分は『原爆の図』は書けないということで、何回も(挿絵を)お断りしたんですね」
『わたしがちいさかったときに』は、子ども達の手記集『原爆の子』が元になっています。被爆から6年後にまとめられたその本には、たくさんの生々しい体験が、綴られていました。

ちひろ美術館 松本猛常任顧問
「そういう意味でも、画家としてもこれを描くことは大変辛かったんだと思うんですけども、それ以上に、あの時代というのはベトナム戦争が激しかった時代で、水爆実験というのも行われたりとか、いろんなことがあって、描かねばならないっていう強い思いがあったんだと思います」
迷った末に、ちひろさんは、挿絵を引き受けました。鉛筆と墨だけで、何度も書き直されたその画には、「原爆の図」のような激しい描写は一切、ありませんでした。

ちひろ美術館 松本猛常任顧問
「それはなぜかっていうと、『原爆の辛さとか大変さっていうことは、子どもたちの手記を読めばわかる』と。で、『自分は、どんな子どもたちがそれを書いたのか、それを伝える必要があるんだ』と」
「多分、若い人たちにこの本は読んでもらいたいという思いで、筆を取ったんだと思います」