「もう日本人ではない」 帰ってきた兵士を待っていた残酷な現実

そして日本は戦争に負け、日本による台湾の統治は終わりました。

戦場から帰還した林源治さんは76歳で亡くなるまで、恐ろしい記憶に苦しみ続けたといいます。源治さんの生前の映像が残っています。

元日本兵 林源治さん(1990年放送)
「いつも夢見るんだよ、悪い夢ばかりね」

日本軍の一員として最前線に送られた台湾の先住民たちは、戦争が終わると「もう日本人ではない」とされ、軍人恩給などほとんどの戦後補償を受けられませんでした。

源治さんは、こんな言葉を残しています。

元日本兵 林源治さん
「もっと日本のために尽くそうと思ったけど、何分学問も乏しいし、ロボット同様だから何の働きもできず、かえって日本に迷惑をかけたような気持ちで、残念に思っております。だから今さら何も言うことは私はないのです」

林源治さんの息子 義賢さん
「(父は)亡くなる1年前、病院で『早くドアを閉めて。アメリカ軍に銃で殺される』と訴えた。私は『戦争はお父さんのせいではありません』と慰めました。今は戦争を想像することはできないが、戦争は起きてほしくない。あまりに残酷ですから」

藤森祥平キャスター:
こうして台湾の山奥に行くと、今も日本語を流暢に話す方々がいらっしゃって、胸を痛めながら教えてくれました。

上村彩子キャスター:
日本兵として台湾の人々が戦ったことは知っていましたが、先住民族が危険度の高い任務に従事させられていたことは全く知りませんでした。

林源治さんの「かえって日本に迷惑をかけていたのではないか」という言葉はとても重く感じました。戦中もそして戦後も、日本に振り回されて、とても長く苦しみが続いたと思うと本当に胸が痛くなります。戦後80年経ってもなお、知られていない事実がまだまだあるなと思いました。

藤森祥平キャスター:
高砂族が日本兵として戦地に送られ、多くの命が失われてしまったことはしっかり受け止めなければいけません。

一方で、いろいろな方の取材を進めていくと、「日本統治下で日本語を話せるようになってから、部族間のコミュニケーションが進み、先住民族の間の争いが無くなっていった」というプラスの面について、積極的にお話ししてくださる方もいらっしゃいました。

受け止め方が様々あることは、我々もしっかり押さえなければいなけないと思いました。

いま台湾有事という共通の危機感を持っている中で、こうした事実を学んで、感じて、伝え続けることで、「二度と過ちを繰り返してはいけない」という思いを共にしていきたい、深めていきたいと感じました。