出征を見送った母親の言葉

母も苦しかっただろうと思うんですよ。20歳まで家を守り続けるために育て上げた男を軍に捧げる。しかも生きて帰れないような飛行機乗りになるとは夢にも思っていないでしょう母は。
あのとき母が私の手を握って、出征する時言ってくれた言葉が、「どんなことがあっても、あなたは慌てる癖があるから、慌てたらだめよと、なんかあったら『利休さま、利休さま』と叫びなさい」わたしは飛行機の上でも叫んだことがあんねん。あの当時のことを明確に覚えていますわ。何とも言えない。誰を恨むということもできないじゃないですか。
僕は小学6年生ごろから第二次大戦の前の盧溝橋、大学まで戦争戦争戦争ですよ。ひとこともそんなこといえやせん、みんな尽忠報国、国のためだって。鉄も何でも放出、民間が努力していることに当然だと。わたしのおじも先に出てなくなっていますよ。ほとんどの人が盧溝橋が始まってから招集受けたりして戦死していますよ。そんなこと一言も言ったら非国民です、非国民。