命令が絶対だった時代
決断を迫られたというより命令です。「迫られた」という言葉は当時はありません。これは命令でどんな命令でも命令に従わなければ軍令違反になる。苦しくて耐えられず脱走したのもいますよ、学生ですから。大学生で勉強していたインテリ連中が、そりゃ殴られ蹴とばされ、飛行機に乗って過酷なことですよ。
ただ操縦したり、訓練をするだけでない。どうやって飛ぶのか、と機械整備も全部習いましたよ、あれだけ工学部行かない文系の学生が油まみれになって、飛行機がどうやって飛ぶか分かった。だから戦後に自動車の整備員になれるくらい技量があった。ええこともあった。
でも悲しかった、いろんな意味で悲しかったねえ。でも文でやらないといかん。幸い私にはお茶がある。それで占領中の1951年(昭和26年)1月にシビリアンインテリジェンスエディケーション(CIE)、マッカーサー司令部からの指令を受けてアメリカへ行った。日本は文もあるということを紹介して来いと言われて、パスポートもない時代で、紙切れ一枚「占領国民中につき保護をされたし」というのを持って軍用機に乗っていきましたよ、2年間。
私は同志社で英語を勉強をさせられたし、同志社は語学を大切にするし、海軍に入ったら、海軍も全部英語でした。世界7つの海を征服する。昔は制海権、でも第二次世界大戦がはじまってから制海権より制空権ですよ。そういう中で、話せば1日中かかるけど大変な地獄の中で毎日毎日生活していた。