■「みんな7月29日生まれなんだよね」
2021年11月30日午後3時過ぎ。泉健太氏が立憲民主党の代表に決定した瞬間、岸田総理は嬉しそうに「俺と泉さんと共産党の志位さんはみんな7月29日生まれなんだよね、不思議な縁だな」と周囲に語った。そんな和やかな雰囲気もつかの間、岸田総理にとって初めての“有事”が起きる。新型コロナの変異ウイルス「オミクロン株」の国内初の感染者が確認されたのだった。ゲノム解析には「4、5日かかる」と聞いていた官邸幹部もあまりのことで驚いたという。
ただ、その前日に「全世界からの入国禁止」を決めていた岸田総理は、いたって冷静に水際対策を矢継ぎ早に進めていく。順調に思えた岸田総理の水際対策だったが、国交省のあの“独断”により暗雲が漂い始めた。今週、官邸と国交省で何が行われていたか、その舞台裏を探った。
■「全部閉めよう」
岸田総理は2021年11月26日、WHOが初めて「オミクロン株」を「懸念される変異株」に指定したその日に、確認された南アなど6か国からの水際対策を強化した。翌日にはさらに厳しい水際対策を決断をする。
「全部閉めよう」―
“全世界の国と地域からの入国を禁止する”というG7の中でも最も厳しい措置だった。
「8月26日以降、総理は迷いがない。自信をもって決断している」
総理側近議員はこう解説する。2021年8月26日というのは総理が自民党総裁選に出馬すると表明したときだ。岸田総理の決断に迷いがない理由は、安倍、菅政権の教訓とも見て取れる。経済を最優先した安倍、菅政権は水際の対応が後手に回ったと批判された。
岸田総理は、総裁選出馬当時から「現状認識が楽観的すぎやしないか」と疑問をもち続け、「常に最悪を想定した臨機応変な対応」を一貫して主張するようになる。「今回もそれを実現したもの」と側近は語る。
「『岸田は慎重すぎる』という批判については私がすべて負う覚悟でやっていく」
こう強調した岸田総理の迅速な対応は、党内でもおおむね高評価だった。そうした周囲の評価もあり、オミクロン株が国内ではじめて確認された時も、松野官房長官は「水際対策が機能している証拠だ」と冷静に、胸を張った。しかしそんな自信も徐々に歯車が狂い出す・・・。