大平洋戦争で、数多くの海戦を経ても、海に投げ出された多くの仲間の命を救い、必ず日本に戻ってきた駆逐艦「雪風」。その運のよさから“幸運艦”とも呼ばれた「雪風」は、戦艦「大和」の最期など、多くの仲間の“死”を目の当たりにした船でもありました。

新宿にある「帰還者たちの記憶ミュージアム(平和祈念展示資料館)」。
ここに、2021年に亡くなった「雪風」の元乗組員・西崎信夫さんの遺した資料が寄贈されています。ご遺族の許可を得て見せてもらったのが、所属部隊などが書かれた履歴表。そこには「雪風」の文字がずらりと並んでいました。

学芸員 山口隆行さん
「昭和18年12月から『雪風』に乗って戦務についたという記録が書かれている。戦時中から戦後に至るまで続いているのも、非常に大きな特徴」

西崎さんは、1943年から終戦後まで「雪風」に乗船していました。
当時最年少の15歳で「海軍特別年少兵」として、広島県の大竹海兵団に入団した西崎さん。帰還者たちの記憶ミュージアムが撮影した証言映像の中で、西崎さんは当時の訓練をこう語っています。

駆逐艦「雪風」元乗組員 故・西崎信夫さん
「訓練は非常に厳しい物でした。軍隊に入って普通なら軍事訓練が主だと思ったんですけど、普通学がありまして。それも英語とか国語、物理、科学、歴史ですね」
(「帰還者たちの記憶ミュージアム(平和祈念展示資料館)」撮影証言映像より)