「北方領土よりも南方領土の台湾を」
戦後の台湾は、共産党と敵対した国民党が支配しました。楊さんは共産党のスパイではないかと疑われて逮捕され、政治犯収容所などに7年間も収監されました。
これほど過酷な人生を歩みながら、なぜ楊さんは裁判までして「自分は日本人だ」と主張するのでしょうか。楊さんは裁判の意図について、こう語っています。
「訴訟を通じて、日本の皆さんに台湾のことに関心をもってほしいということを訴えたのです。あの頃は北方領土が返ってくることで日本社会は騒いでいたけれど、私は北方領土よりも南方領土の台湾に関心を寄せてほしいと訴えたのです」
かの戦争で、日本人として約21万人の台湾出身者が軍人・軍属として動員され、そのうち約3万人が命を落としました。多くの台湾の若者が日本のために犠牲となったことを、日本社会に知ってほしかった、という思いがあったのです。
最後に「あなたは台湾人ですか?日本人ですか?」という問いかけに対し、楊さんは笑顔でこう答えました。
「私は日本人として生まれ、そしてその教育を受けてきたのだから、そしてずっと日本人として生きてきたんです。今でも日本人の気持ちで生きてきたんですよ。ははは。そして、国家の存亡の危機の時にもね。志願して戦争に行ったわけです」
戦後80年の夏、戦争体験者の声を直接聞ける機会はますます少なくなっています。日本国内だけでなく、かつて日本人だった台湾や朝鮮半島、アジア各地で、あの戦争を経験した人々の声を聞くことも、少なくなっているのが現状です。
「かつて日本人だった」、そして心の中で「今も日本人であり続ける」台湾の103歳、楊馥成さんの話から、改めて日本の歴史と向き合うことの重要性を感じずにはいられません。
◎飯田和郎(いいだ・かずお)

1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。2025年4月から福岡女子大学副理事長を務める