日本政府に国籍回復を求め提訴

楊さんは戦後も「自分は日本人である」という思いを抱き続け、驚くべき行動に出ました。自分が日本の国籍を喪失したのは不当だとして、日本国籍を有していることの確認を求め、2019年に日本政府を相手に提訴したのです。

この裁判は2022年に東京地裁で棄却されましたが、裁判の結果にかかわらず、100歳を過ぎても「自分は日本人だ」という思いは変わらないといいます。

楊さんは農林学校を卒業後、農業技師として働き、第二次世界大戦中の1943年には自ら志願して軍に所属する職員、いわゆる日本の「軍属」となりました。

飯田:楊さんはシンガポールに行かれたのですよね?

楊馥成さん:そうそう、シンガポール。あのころはね。志願して、どこに派遣されるかわからなかったんですよ。あの時ね。我々は軍属としてどこに派遣されるかわかりませんでしたよ。私は運がいい方で後方部隊に回されたんでね。ははは。

当時、どこに派遣されるかはわからなかったそうですが、楊さんは「運がよかった」と後方部隊に配属されました。一方で、激戦地のインパール(インド)やフィリピンに送られて命を落とした仲間も多かったと語ります。

日本政府は戦後、軍人・軍属だった日本人には恩給を支給しましたが、楊さんのような台湾出身者は「すでに日本の国籍がない」ことを理由に、その対象から外されました。