戦後80年を迎える中、原爆の惨状を描いた“ある絵”が修復されました。平和な時代を生きる私たちに問いかけてくるものとは。


紅蓮の炎に焼かれる人々。その中には赤ちゃんの姿も。広島出身の画家、丸木位里と妻の俊が描いた「原爆の図 第二部 火」。
8枚1組の屏風は、縦1.8メートル、横7.2メートルの大きさです。1945年8月6日の原爆投下を受け、当時東京に住んでいた丸木夫妻は実家のあった広島に帰り、1か月以上救援活動を手伝いました。その後、突き動かされるように絵筆をとった二人は5年後の1950年2月。「原爆の図」の1作目(第一部)「幽霊」を描き上げます。さまよい歩く人々と、その足元に眠る赤ちゃん。

(原爆の図丸木美術館 岡村幸宜学芸員)
「第一部の赤ちゃんというのは安らかな顔で眠っているような赤ちゃんで、せめてこの子だけでも生き残ってほしいと言っていますけれど、実際発表すると『現実はこうじゃなかった』と。赤ちゃんが黒焦げになって地面に転がっていたみたいな反応があって…」
その半年後に発表したのが、2作目の「火」。そこで描かれた赤ちゃんは…炎に包まれていました。
