70年前に「原爆の図」を模写した小学生たちが…
愛知県岡崎市の徳応寺。「火」は、ここにもあります。本堂に入ると…
(山室雅子記者)
「木の箱が…『原爆被災の図』と書いてあります」
(徳応寺 都路尚裕住職)
「仏様の近くに保管してあります」
木箱に収められた掛け軸に描かれていたのは、あの火に焼かれる人々。今から約70年前の1956年に地元の小学5年生48人が取り組んだ“模写”です。終戦の年に生まれた子どもたちは、まさに「原爆の図」に描かれた赤ん坊と同じ世代でした。

模写のきっかけは、終戦から10年ほどたった頃の授業でした。
(都路住職)
「学校の授業で戦争の話になり、1人の児童が『原爆は景気がいい』と言葉を発した」
この言葉に衝撃を受けた担任が「原爆の図」の画集を見せると、48人の児童たちはこの「恐ろしさを伝えたい」と模写を始めたといいます。
当時模写した小学生は今79歳に
当時「原爆の図」を模写した1人に話を聞くことができました。現在は名古屋市に住む永井孝昌さん79歳。
(永井孝昌さん)
「(描いたのは)学校の講堂ですね。小学校の講堂。とても暑かった記憶がありますね。夏でしたから。夏休みに描きましたから」
まだ敗戦が色濃く残り、貧しかった時代。子どもたちはシジミを取って売ったりして、墨や紙の費用を作ったといいます。
(永井さん)
「シジミは川で取りました。ぼくの家の前に更紗川(さらさがわ)っていう小川があってその辺りで取った」

Q描いた絵の記憶は?怖かったのでは?
「怖かったです。とても怖かったですね。ほとんどはだかの人たちが、いまにも倒れそうな人たちが行列をなして歩いていた光景は、本当に怖かったですね。
そしてこんな記憶も…。