受け継がれる“被爆体験のバトン”「家族伝承者」が次の世代へ

原爆資料館を訪ねました。ここには被爆の実相を後世に伝える貴重な資料が保管されています。今年、新たに寄贈されたのは…

学芸員
「万年筆ですね」

持ち主は80年前の8月6日、原爆によって命を奪われた森脇瑤子さん。まだ13歳でした。

寄贈された中には、瑤子さんの日記帳も。原爆投下前日の8月5日にはこう綴られていました。

瑤子さんの日記(8月5日)
「叔父が来たので家がたいへん賑やかであった。いつもこんなだったらいいなあと思ふ」

毎年8月6日に瑤子さんが亡くなった天満川のほとりを訪れていた男性がいます。兄の細川浩史さんです。自身も被爆した浩史さんは晩年、妹の生きた証を残したいと被爆体験を語り続けてきました。

瑤子さんの兄 細川浩史さん(2013年5月)
「僕の妹も原爆によって殺された。ちょうどあなたの1級上よ」

命日には瑤子さんを思い、好物だったキャラメルを川に手向けてきましたが、その浩史さんも2年前に他界。

今年は浩史さんの息子・細川洋さん(66)が、同じ場所で瑤子さんを偲びました。

浩史さんの息子 細川洋さん
「初めてキャラメルを投げましたけども、食べてくれたかなと思いながら。瑤子ちゃんもですけれども、あの日、あの時、いろんな思いを抱えて生きていた人たちがいる。すべての思いとともに命が絶たれた」

この日、 中学校を訪れた細川さん。

細川洋さん
「これ妹の瑤子ちゃん」

父の思いを継ぎ、細川さんはいま「家族伝承者」として、浩二さんと叔母・瑤子さんの被爆体験を伝え続けています。

細川洋さん
「外からリヤカーを引く音が聞こえて、お母さんが半狂乱に泣き叫ぶ声が聞こえてきたそうです。見ると、変わり果てた瑤子ちゃんが、そのリヤカーに乗っていたそうです」

細川さんの話を聞いた中学生からは…

中学3年生
「(戦争の)リアルを伝えられる人が居ないのは悲惨さが薄れて伝わるので、話を懸命に覚えて自分の子どもや知らない世代に伝えていくことが大切だと思いました」

原爆投下から80年。細川さんは「被爆体験のバトンを受け継ぐ最後のチャンス」だと話します。

細川洋さん
「父がよく言っていたのは『大げさに言うな』と。『事実を淡々と伝えればいいんだよ』と。反核平和の伝道者とか活動家になってくれとは思わない。何かできることを一つでも見つけて小さな一歩を踏み出してくれたら。そういったスタンスは父から学んだ。受け継いでいこうかなと」