被爆者の高齢化が進み、語り部も減少している中…記憶を風化させまいと、次の世代へ伝え続けようと活動する人たちが山口県にもいます。



永野和代さん
「なんかの話を聞いたときにそれがすごくトラウマとなって、それ以後、耳には入っても頭には残らない」

山口市原爆被害者の会会長で県被団協理事の永野和代さん、81歳。
原爆や戦争の記憶を継承していくことの難しさを痛感しています。

永野さんは1歳半のとき、爆心地から1.5キロの場所で被爆しました。
当時の記憶はありません。
物心ついて母親から被爆したときの話を聞き、あまりの凄惨さに話のほとんどが頭に入らなかったと言います。

原爆投下、そして終戦から80年。
いま考えることは…



永野和代さん
「80年たったからどうなのよ。あの1945年の事実は消すことができない。そして、それをもう二度と、世界中のどの人たちにも二度と、ああいう思いをさせてはいけないと」



永野さんは、多くの人が「原爆や核兵器が恐ろしいもの」と分かっていても、自分事として捉えられてはいないと感じています。

永野和代さん
「長崎、広島をもう一度見つめ直してほしい。あんなになるんだよ、あれどころじゃあないんだよ、もっともっとひどい状態になるんだよっていうのを」