関係者:「泊った部屋にジンの瓶がいっぱいあったと」

イベントに合わせ金澤教授や国内外のフォークナーの研究者が訪れ、関係者の説明をもとに当時の彼の行動をたどりました。

関係者:「39歳の女中さんがお世話をしていた。一言も英語は話せなかったが全く普通にお世話をしていた」


写真や「長野セミナー」の参加者名簿など滞在中の様子が伺える資料が今も残されています。

中には、五明館に宛てた直筆メッセージも。


当時6歳で、実際にフォークナーを見たという五明館の関係者はー

関係者:「玄関の外で、フォークナーさんが佇まれていた姿を見た、ただそれだけだが、非常にがっちりした体格の方で、物静かな感じだったというのを覚えている」


研究者の間ではフォークナーの来日と「長野セミナー」の開催には、“政治的な意図”があったとされています。

京都女子大学 金澤哲教授:「日本の世論を誘導したい。そのために当時の知識人=学者や作家たちに影響を与えたいアメリカにいい印象を持ってもらいたいと大物を連れて来た。(アメリカ政府は)そういう戦略をはっきり持ってやっている」

敗戦国の日本に戦勝国のアメリカの良い印象を植え付けるねらいがあったというセミナー。

では、なぜ、長野での開催だったのでしょうか。

絶対条件は、アメリカ文化の普及のため全国各地(23か所)に開設された「文化センター」があることで、長野は、現在の県立美術館の場所にありました。


京都女子大学 金澤哲教授:「都会じゃなくて静かなところに行って、合宿じゃないが勉強会をしようというのは(アメリカで)よくあるパターン。それを日本でやろうとした時に長野が、東京からの距離感や全国から集まる意味でもやりやすかったのかなと」